1ヶ月500円からの医療支援で、
救える小さな命がある。
7人の赤ちゃんが、命を落としていった母親。今度こそ、我が子の命を守りたい
生まれてきた命の25人に一人が、5歳の誕生日を迎えることができない国があることを、あなたは知っていますか?
“医療が届かない”、それだけで日本なら救えるはずの命が目の前で消えていく国。
ラオスの観光都市ルアンパバーンから車で8時間、山岳に住む少数民族ダオちゃん(仮名)に出会ったのは、彼女がこの世に生を受けて間もない4か月の時でした。彼女のお母さんはダオちゃんを生む前に、7回出産していましたが、どの子も生後数か月で、命を落としていました。
貧困のために、食べるものさえない彼女のお母さんは、母乳が出ませんでした。しかし、両親はダオちゃんに粉ミルクを買うこともできず、重湯に砂糖を混ぜたものを飲ませて、彼女を育てていました。栄養もカロリーも不足しているダオちゃんは、ひと目で重度の栄養失調で、さまざまな感染症にかかっていることが分かりました。
「このままでは、ほかの赤ちゃんと同じように、数か月以内に彼女は死んでしまう」
私たちは、すぐに彼女をラオ・フレンズ小児病院(LFHC)に搬送し、感染症と栄養状態の改善のための治療を開始しました。
回復には数か月かかりましたが、ダオちゃんは無事に退院の日を迎えることに。しかし、栄養失調や感染症にかかりやすい元の生活環境に戻れば、治療前と同じ状態で病院に戻ってくるか、最悪の場合、病院に来ることさえできずに、ダオちゃんは命を落としてしまうかもしれません。
「ダオちゃんの小さな命の灯を消してはならない」
そこで、私たちの訪問看護チームは、ダオちゃんが健康に成長していくために、医療だけでなく、彼女の生活環境から改善していくケアプランを作成。両親を含むダオちゃん家族の貧困状況を改善するために、まずは彼女が住む村の村長さんに相談しました。そして、村全体でダオちゃんの家族をサポートしてもらう体制をつくり、村人から分けてもらった鶏や、畑で野菜を育て、彼女の両親が収入を得て、ダオちゃんが健やかに暮らしていける環境を整えていきました。
私たちの訪問看護が数か月続いたころ、ダオちゃんは1歳になりました。それまで7人の子どもたちを1歳になる前に失っていた両親は、はじめて1歳になる我が子を育て、家族を育むことができたのです。
その後もフレンズの訪問看護チームは、ダオちゃんの家に定期的に通い、ダオちゃんは5歳にまで成長しました。生まれてくる子どもの25人に一人が、5歳を迎えることができない国で、彼女は5歳の誕生日を迎えることができたのです。
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANの医療活動へ
ご支援をお願いします
1日約17円、毎月500円の寄付が
子どもたちを救う支援に繋がります!
解約・退会はいつでも可能です
思いやりのあるケアを
私たちの根幹となる思いであり、スタッフ一人ひとりが常に心に刻んでいるのは、“Compassionate care”という言葉です。「思いやりを持って対応する」というこの言葉を信条として、すべての患者さんに対して、我が子と同じような気持ちで接し、小さな命に寄り添う医療活動に取り組んでいます。
ラオスでは25人に一人の子どもが、5歳の誕生日を迎えることができない
ラオスの5歳未満の子どもの死亡率は、日本の23倍(出生数1,000人当たり)。ただ生まれた場所が違うだけで、日本では救えるはずの病気で失われていく小さな命がこの世界にはあるのです。(ユニセフ世界子供白書2021)
プロジェクト概要
【医療・教育・予防】を活動の柱に、院内の診療はもちろん、院外でも病気経過観察や予防活動を実施しています。
将来的にラオス人の手で病院を運営できるよう、人材育成にも力を注いでいます。
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はじまりは、たった2ドルが払えないために命を落とした女の子でした
1993年、アンコール遺跡群の撮影のためにカンボジアを訪れていた日本人カメラマンの井津建郎は、撮影の合間に見学した病院で、たった2ドルが払えないため、適切な治療を受けられず、ただ死を待つだけの女の子とその父親に出会いました。
やり切れない気持ちで改めて村の人々に目を向けると、地雷で手や足を失ったまま治療も受けていない子ども、下痢で命を落とす子ども・・・、医療が行き届いていない状況がすぐにうかがえました。
当時、アンコールワットがあるシェムリアップには、州立病院がひとつあるだけ。しかし多くの患者さんはたちは、医療費が払えないためその病院で治療を受けることさえできませんでした。そしてなす術もなく、その女の子は、まもなく井津の目の前で静かに息を引き取りました。
ひとりの日本人カメラマンが非営利の小児病院の設立を決意
それが、医療とは無縁だったひとりの日本人カメラマン井津が、非営利の小児病院の設立を決意した瞬間です。
帰国した井津は、アンコール遺跡を撮影した作品等の収益を基金の元手として、“フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー”を設立。その後、多くの方々の支援を得て、1999年カンボジアのシェムリアップにアンコール小児病院(AHC)を設立・開院。20年以上にわたり、AHCではのべ220万人以上の子どもたちを治療してきました。
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANの活動
国際基準に見合った質の高い病院で、無償の医療提供
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANは、医療を受けることが困難なアジアの子どもたちのために活動しています。私たちは「国際基準に見合った、質の高い、心のこもった医療を提供できる病院」を目指し、ラオスとカンボジアに非営利の小児病院を設立し、24時間体制で診療を行っています。
優秀な医療従事者の育成。病院の現地化に向けた教育サポート
私たちが目指す小児病院の最終的なゴールは「現地の人の手で運営できる病院」です。いつまでも支援されるのではなく、自分たちで歩んでいけるように、私たちは支援をしています。将来の現地化に向けて、経験豊富な外国人スタッフやボランティアが、日々、現地スタッフの育成に力を注いでいます。
病院の外にも目を向ける、生活環境から考える医療
私たちの活動は病院内にとどまりません。
経過観察が必要な慢性疾病患者さんをフォローアップする訪問看護や、保健・衛生概念が浸透していない農村部に出向いて病気の予防活動も行います。病院に来られない地域に赴くことで見えてくるもの、医療の必要性に気づいていない人に教育することで防げることがあるのです。
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANの実績
【カンボジア】アンコール小児病院(AHC)のべ220万人以上の子どもたちを治療。2013年に現地化達成
失われていく小さな命を一人でも減らしていくために、私たちの活動はカンボジアから始まりました。1999年、カンボジアのシェムリアップに無償で医療を提供するアンコール小児病院(AHC)を設立・開院。新生児から15歳までの子どもたちを対象に、24時間体制の救急病院として、医療・教育・予防を活動の柱として子どもたちの診療にあたっています。2013年には念願だった現地化を果たし、現在は「カンボジア人のカンボジア人によるカンボジア人のための病院」として、現地スタッフが主体となって運営しています。
アンコール小児病院(AHC)には、1日350人以上もの患者さんが来院し、開院以来のべ220万人以上の子どもたちを治療してきました。
【ラオス】年間のべ38,000人以上の子どもたちを治療。農村部で予防・訪問医療にも注力
現地化したカンボジアの病院の次に、私たちが活動拠点にしたのはラオスです。2015年にラオスのルアンパバーンに、ラオ・フレンズ小児病院(LFHC)を設立・開院。現在、年間38,000人以上の子どもたちの治療にあたっています。
また、ラオ・フレンズ小児病院(LFHC)では、治療だけでなく、患者さんと取り巻く様々な社会的・経済的な問題に目を向けた、院外での活動にも注力。保健・衛生概念が浸透していない農村部に出向いて、病気予防活動を行うとともに、経過観察が必要な慢性疾患の患者さんのケアを継続的に行っています。
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表で看護師の赤尾和美は、このアウトリーチプログラムの部長として、ラオスに駐在し活動しています。
また、カンボジアと同様に、将来的にラオス人の手で病院を運営できるよう、人材育成にも力を注いでいます。
ラオスの医療事情。将来的な現地化に向けて。
ラオスでは、肺炎や下痢、栄養失調等、予防や治療のできる病気で子どもたちが命を落とすケースが珍しくありません。要因としては経済的なものだけではなく、脆弱なインフラと山岳の地形、信仰や文化的背景等が大きく影響しています。また、既存の病院や保健センターも、医療設備の不足や、医療従事者の医療倫理と技術の不足等により、十分な医療を提供できるとは言えません。信頼できる、安心して通える病院が身近にあったなら失わなくてよい命を救うことが出来る。病院を身近なものに、適切な医療が受けられる病院として2015年2月、ラオ・フレンズ小児病院(LFHC)は誕生しました。開院以来、ラオ・フレンズ小児病院(LFHC)の来院数は増加し、年間のべ38,000人の子どもたちのケアにあたっています。
郡立病院のサポート
ラオ・フレンズ小児病院(LFHC)に患者さんが集中することで、院内は常に混雑し、提供する医療の質の低下が懸念され、近隣の郡立病院へのサポートを開始。他病院であってもラオ・フレンズ小児病院(LFHC)で受けられるのと同様の質の高いケアを受けられるよう、コミュニティケアのための国のプログラム「IMNCI=小児疾病総合管理」を用いて、包括的なサポートを行っていきます。このプロジェクトがうまくいくことで、ラオス国全体の医療の質向上を目指します。
ラオ・フレンズ小児病院(LFHC)の現地化
いつかは「現地の人の手で運営できる病院」、いつまでも支援されるのではなく、自分たちで歩んでいける病院となるよう、将来的な現地化を目指し、ラオス人スタッフの教育には特に力を入れています。現在全部署のマネージャーをラオス人スタッフが担い、ラオス人の手で運営できる病院に向けて日々指導を行っています。
あなたの寄付で実現できること($1=140円)
500円:患者さん一人に薬を処方することができます *平均額
1,000円(人件費含む):患者さん一人の病気を特定するために必要な検査をすることができます *平均額
3,000円(薬代含む):外来患者さん一人の診察を行うことができます
5,000円:蘇生器具を必要とする新生児治療を行うことができます
10,000円:簡単な手術を行うことができます
受賞歴、メディア出演など
▼受賞歴
・2000年:社団法人日本写真協会 文化振興賞
・2004年:第16回 毎日国際交流賞 団体の部
・2010年:第62回 第一生命保健文化賞
・2014年:〈井津建郎〉 ワールド・オブ・チルドレン・アワード 保健賞 http://youtu.be/do70A-KO6SM
・2017年:〈赤尾和美〉 第45回 医療功労賞
・2018:〈赤尾和美〉 平成29年度 大山激励賞
▼テレビ出演
・2007年:TBS系「いのちの輝きスペシャル~小さな命を救いたい・・・」
・2012年:テレビ東京系 日曜ビックバラエティ「世界のヘンピな所でがんばる日本人3」
・2015年:テレビ東京「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波乱万丈伝~」
・2016年:NHK BS1「国際報道2016 『日本人写真家が築いた慈善事業の20年』」
NHK WORLD「NEWS ROOM TOKYO」
・2021年:NHK WORLD-JAPAN 「Side by Side『Compassionate Care for Children: Laos』」
▼ラジオ
・2017年:TOKYO FM「The Lifestyle Museum」(2月)
・2018年:J-WAVE「JK Radio Tokyo United のLIFENET SEIMEI COME TOGETHERコーナー」
▼雑誌
・2012年:『ソトコト6月号』
・2013年:機内誌『Angkor10-12月号』
・2015年:機内誌『FAHTHAI 3月号』
・2016年:『週刊NY生活』
・2020年:『赤ちゃんとママ 3月号』
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANの医療活動へ
ご支援をお願いします
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解約・退会はいつでも可能です