メッセージ フレンズJAPANについて

井津 建郎(いづ けんろう)
創設者/写真家

1994年、カンボジアの県立病院で医師が2ドルの費用を払えなかった家族の子供の治療を拒否し、その幼い命が消えた現場を目撃しました。 基本的な救命と医療ケアを無償で、愛情を込めてアジアの子供達に提供することを願って1999年にカンボジア、そして2015年ラオスに小児病院が作られました。 私たちの願いはこれら、アンコール小児病院とラオ・フレンズ小児病院が現地の子供達の健康のために運営を続けていくことです。そしてそれら子供達が愛情には国境が無いことを心に刻んで成長して欲しいと願っています。

・プロフィール

1949年大阪府生まれ。日本大学芸術学部写真学科在学中の1971年に写真家を目指して渡米。以来、ニューヨーク在住。1979年より石造遺跡の撮影を始め、世界の聖地撮影をライフワークとする。 写真家・井津の代名詞ともなっているのは、1983年より始めた大型カメラによるプラチナ・プリントである。井津の写真作品は、ボストン美術館、メトロポリタン美術館、スミソニアン美術館、カナダ建築センター、東京都写真美術館、清里フォトアートミュージアムなど、多くの美術館に所蔵されている。 1995年、井津の呼びかけで非営利団体“フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー”をニューヨークで設立した。現在も、写真家として、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー創設者かつ理事として、精力的に活動している。2007年、“写真界のアカデミー賞”と言われる「ルーシー・アワード・ビジョナリー賞(米国)」を受賞。2014年、子供の保健分野に10年以上貢献した個人に贈られる、世界的に名誉ある賞「ワールド・オブ・チルドレン・アワード保健賞」を受賞。

赤尾 和美(あかお かずみ)
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表
看護師

小児医療にも途上国医療にも特別興味があったわけではなく、初めてカンボジアへ飛んだのは1999年。看護を教えるために張り切って赴いたその現場で、自分の“当然”が当然ではないことを思い知らされました。そして、何も貢献できることはない…としばし落ち込みましたが、自分の経験を現地の医療の改善と発展のために形を変えれば使えるかもしれないなぁとぼんやり頭に描き始め、それからは、Trial and errorで今日まで。 そして今、思うのは、それぞれの国には独特の医療が存在する「異文化・異医療」ではあるけれど、私たちが信じる“Compassionate care”(心のこもった質の高いケア)は、どこの国でも通用するものであり、不可欠であるということです。こうした「やさしい小児医療」が現地に根付き、自立していくことができるように、これからも頑張りたいと思います。

・プロフィール

看護師、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表。杏林大学看護専門学校卒業。看護師免許取得後、臨床経験を経て渡米。アメリカ合衆国ハワイ州看護師免許取得。ワイキキ保健センターでHIV専門クリニック、HIV専門団体にてHIV/AIDS予防教育担当として勤務。1999年にアンコール小児病院ボランティアとして、カンボジアに2か月滞在。2000年より2013年4月まで 、同病院にてHIVと訪問看護の専門家として従事。2009年よりフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN事務局運営責任者、副代表となり、2016年より代表を務める。2011年4月より武蔵野大学通信制にて心理学専攻。2013年3月に心理学学士、認定心理士資格取得。2016年に看護学学士取得。 2017年、山間部や離島、発展途上国など、厳しい環境のもとで長年、地域に密着した活動を続けてきた医療従事者に与えられる「医療功労賞」を受賞し、厚生労働大臣から表彰される。 2018年、発展途上国にて医療協力に従事し、今後の活躍が期待される医療関係者に贈られる「大山激励賞」を受賞。

赤尾和美のインタビュー記事一覧はこちらからご覧いただけます。

理事からのメッセージ

戴 波留美


2016年にフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANの理事に加わり、ファンドレイズの一環として、同年10月に初めての試みのチャリティーガラディナーを開催しました。ガラ・コミッティを立ち上げ皆で一から企画し、以来毎年開催してきました。 サポーターの皆様やガラ・ディナーに関わってくださった方々のご協力のお陰で年々規模が大きくなり、収益も増えラオ・フレンズ小児病院の子どもたちの治療費として送金することができました。 私は、今までラオ・フレンズ小児病院を2回訪問いたしました。2回目に訪れた時は、ずいぶん設備が整いスタッフも増え病院として立派に機能していました。 ラオ・フレンズ小児病院の存在は遠くの村々にも知れ渡たり何日もかけ治療を求めて家族で病院にやって来ます。これからも病院の需要は高まるばかりです。しかしながら、世界の状況が変化していく中、今までのような会場での募金活動はできなくなりました。これからどのように病院を支援していくか、何か新しいアイディア、別の方法を考えなければならないと思っています。 子供たちが健康で普通の暮らしができるようになることを願っています。

高橋 大輔
三光ソフランホールディングス株式会社 専務取締役
メディカルホットライン株式会社 代表取締役
医療法人誠光会 ひかりクリニック 理事
社会福祉法人誠高会 さくらんぼ保育園 理事


最初のきっかけは、テレビの向こうで子供たちに医療を届ける赤尾さんの奮闘ぶりに心を動かされ、父が思わずテレビ局に連絡を入れたことでした。私も医療事業に携わっている傍ら、医療だけではなく教育や地域活動を通じて、子供たち一人ひとり、そしてその家族に寄り添うフレンズの思いと考え方に学び、深く共感し、活動に参画するご縁をいただいていることに感謝しております。 これからもカンボジア、ミャンマー、ラオスの子どもたちが安心して医療が受けられる未来と心のつながりを仲間とともに創っていくことに、夢と希望を持って取り組んで参ります。

竹地 春海
中山身語正宗 参与
大本山瀧光徳寺 寺務長


今は亡き齋藤法明住職(広島・法瀧寺)が、井津先生や赤尾代表を応援しておられたご縁から、宗団としての支援も始まりました。これまで40余年、私たちは毎週日曜日の朝食を断食し、天地万物に生かされている身を感謝するとともに、世界各地で苦しむ方々に心を寄せて祈りを捧げています。 そして断食した一食は400円の浄財に換え、「世界平和と万民の幸せ」のために、またフレンズの活動にも生かしてもらっています。私たちの祈りが、ラオスやカンボジアの子ども達の笑顔に繋がっていることは、この上ない大きな喜びです。

中小路 太志


二十年ほど前のこと、アンコール小児病院を訪ね無医村の訪問に同行した。そこは医療や衛生の知識を必要とした待った無しの現場。生きること、死ぬことが、日々の暮らしの中にあり、子どもたちのキラキラした瞳に見つめられた。子どもたちの笑顔は、未来への贈りもの。アジアの子どもたち、健やかに育まれることを願います。

堀 成美


感染症対策コンサルタントの堀です。感染症の予防・対策の支援を国内外で行なっています。また、2014年からは、国立国際医療研究センター国際診療部でスタッフ・研究員として日本に短期長期に滞在する外国人の健康支援を行なっています。日本だけでなく、海外の子どもたちが安全に、健康にすごせるようと願っています。FWABが日本と現地をつないで活動をするのを専門職として心強く思っています。

松島 彰雄
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN創設者


1973年3月 日本大学芸術学部写真学科 卒業
1973年4月 平凡出版株式会社(現:マガジンハウス)入社
2010年8月 (株)マガジンハウス 定年退職
1996年6月 フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー東京オフィス創設、代表就任
2017年2月 フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表退任、理事となる


大学時代からの友人、井津建郎氏からカンボジアに病院を建てるので、日本での責任者になって欲しいと言われたのが1996年でした。それ以降出版社勤務を続けながらフレンズJAPANの代表を務めてきました。最初のプロジェクトのアンコール小児病院は2013年自立。その後、カンボジアで培った経験を活かし、隣国ラオスに「ラオ・フレンズ小児病院」を建設、2015年開院しました。目指すのはラオス人によるラオスの子供たちのための病院です。今までのご支援に心から感謝申し上げますと共に、これからも皆様のご協力を宜しくお願いいたします。

渡辺 淳子


日本に住んでいると、質の高い医療にかかれることが当たり前だと思ってしまいます。私はカンボジアやラオスを訪問して、全ての人が恵まれているのではないことに気づきました。ラオ・フレンズ小児病院で思いやりの心をもって働くスタッフの姿を見て、彼らに代わって何かをせずにはいられません。

私は、慈善活動に対して何かしたい、支援をしたいと思っている海外の方々の手助けをしていきたいと思っています。遠く離れた人々のジェスチャーで、子供の命を救うことができるのです。

イベントEvent

活動レポートReport

  • 事務局のスタッフ等が、
    日々の活動の様子を
    お伝えします

  • 赤尾看護師が、
    ラオスでの活動の様子等を
    お伝えします

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