はじまりは、たった2ドルが払えないために
目の前で命を落とした女の子でした
1993年、アンコール遺跡群の撮影のためカンボジアを訪れていた日本人カメラマンの井津建郎。
彼は、撮影の合間に見学した病院で、たった2ドルが払えないために、治療も受けられず、
ただ死を待つだけの女の子とその父親に出会いました。
女の子は10歳か12歳くらいで、ちょうど井津の娘と同じ年頃でした。
やり切れない気持ちで改めて村の人々に目を向けると、地雷で手や足を失ったまま治療も受けていない子供、
下痢で命を落とす子供等、医療が行き届いていない様子がすぐにうかがえました。
当時、アンコールワットがあるシェムリアップには、州立病院がひとつあるだけで、
しかも、診察・治療費が払えない患者さんたちは、適切な治療が受けられませんでした。
なす術もなく、その女の子は、井津の目の前で静かに息を引き取りました。
それが、医療とは無縁だったひとりの日本人カメラマン井津が「何とかしなくては」、と決心した瞬間です。
ひとりの日本人カメラマンが非営利の小児病院の設立を決意
「自分はアンコール遺跡で “Take(撮る・もらう)”ばかりだったが、“Give(返す・与える)”もするべきではないか」 そう考えた井津は、非営利の小児病院を設立しようと決意しました。
井津は、“Art Can Make A Difference~アートは世界を変えうる~”とうたい、「写真家でも、世の中の何かを変えることができる」という信念のもと、アンコール遺跡を撮影した作品等の収益を基金の種として、当時撮影活動の拠点にしていたアメリカや日本の友人有志に支援を呼びかけ、1995年、ボランティア団体“フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー”をニューヨークで設立します。
翌年1996年には東京にもオフィスを設置。日米を中心に3年間で3,000人を超える人々の支援を得て、
1999年2月22日、カンボジアのシェムリアップにアンコール小児病院が開院しました。
活動年表
ニューヨークで
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー創設
カンボジアのシェムリアップにアンコール小児病院を開院
大崎ゲートシティにてTBS共催イベント
秋篠宮両殿下
アンコール小児病院ご訪問
アンコール小児病院がカンボジア保健省より
教育病院に認定される
TBSのドキュメンタリー番組「いのちの輝き」で
赤尾看護師が紹介される
アンコール小児病院外来患者数
のべ100万人突破
認定NPO法人格取得
ラオスのルアンパバーンに
ラオ・フレンズ小児病院を開院
井津建郎が
カンボジアでの小児病院設立を決意
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN設立
1周年のアンコール小児病院が
TBS「筑紫哲也ニュース23」で衛星中継
アンコール小児病院 医療教育センター開所
特定非営利活動法人
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN法人格取得
クリントン元アメリカ大統領、アンコール小児病院ご訪問
カンボジアのソトニコム郡立病院内に、
アンコール小児病院のサテライトクリニック(分院)を開院
アンコール小児病院を現地化し、カンボジア人による運営が始まる
ラオスにて「ラオ・フレンズ小児病院」プロジェクト開始
ミャンマーでの栄養教育支援を開始
ラオ・フレンズ小児病院 新生児室を拡張し新生児病棟完成
1993
井津建郎が
カンボジアでの小児病院設立を決意
1995
ニューヨークで
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー創設
1996
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN設立
1999
カンボジアのシェムリアップにアンコール小児病院を開院
大崎ゲートシティにてTBS共催イベント
2000
1周年のアンコール小児病院が
TBS「筑紫哲也ニュース23」で衛星中継
2001
秋篠宮両殿下
アンコール小児病院ご訪問
2003
アンコール小児病院 医療教育センター開所
特定非営利活動法人
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN法人格取得
2005
アンコール小児病院がカンボジア保健省より
教育病院に認定される
2006
クリントン元アメリカ大統領、アンコール小児病院訪問
2007
TBSのドキュメンタリー番組「いのちの輝き」で
赤尾看護師が紹介される
2010
カンボジアのソトニコム郡立病院内に、
アンコール小児病院のサテライトクリニック(分院)を開院
2011
アンコール小児病院外来患者数
のべ100万人突破
認定NPO法人格取得
2013
アンコール小児病院を現地化し、カンボジア人による運営が始まる
ラオスにて「ラオ・フレンズ小児病院」プロジェクト開始
ミャンマーでの栄養教育支援を開始
2015
ラオスのルアンパバーンに
ラオ・フレンズ小児病院を開院
2018
ラオ・フレンズ小児病院 新生児室を拡張し新生児病棟完成