インターンを振り返って2022.04.20
本ブログにアクセスしてくださり、ありがとうございます。
早稲田大学一年の寺﨑です。今回は、私がこのインターン期間中に感じたことについて、書いてみようと思います。
翻訳作業をしているうちに、ふと気づいたことがあります。それは、病院で働くスタッフさんたちが、「誰かのために」英語を学んでいるということです。自分じゃない、身内ですらない「誰か」を救うために、英語で知識を得てコミュニケーションを取っている。母語ではない言葉を、忙しいなか基礎から学んで役立てている。それは、もしかしたらとてもすごいことなのではないでしょうか。
突然ですが、私は英語が嫌いです。何故なら、どれだけ学んでも上達したように感じられないからです。中学生一年生から4年半アメリカに住んでいた私は、ずっとずっと、自分のことを途轍もないバカだと思わせる英語が嫌いでした。なぜ、家で何時間も勉強をした私よりも、いつもふざけてばかりいるアメリカ人のクラスメートの方がいい点数を取るのだろう。なぜ、注文を間違えた店員に指摘もできず、不味いポテトを咀嚼する羽目になるのだろう。なぜ、電話を取るたびに「理解できなかったらどうしよう」と冷や汗をかかなければならないのだろう。言語が変わるだけでいくつもの「できたこと」が「できないこと」に変わってしまったから、英語が嫌いでした。
些細なことをしようとするだけで壁にぶつかって、その度に人よりも考えて、悩んで、時に無力感に苛まれて、傷ついて。母語ではない言語を習得して使いこなすことの難しさを、私は身を以って知っています。だからこそ、ラオスにいるスタッフさんたちが、私の目にはとても眩しく映るのです。日々訪れる小さな挫折を、助けを必要とする人たちに手を差し伸べたいがために受け入れる人たちがいる。そのことが、私に「世界もまだ捨てたもんじゃないな」と思わせてくれます。人によっては、「流石に大袈裟だよ」と言われてしまうかもしれません。しかし、「自分のために」何もできない悔しさに押し潰されて英語を腐すようになってしまった私にとっては、顔も知らない「誰かのために」一生懸命英語を学んでいる人たちは敬うべき対象なのです。むしろ、彼らのすごさを皆さんにもっと認識してほしい、そんな思いですらいます。
いまこの瞬間も、ラオ・フレンズ小児病院では、スタッフさんたちが医療行為で数多くの命を救いながら、他人のためにスキルを磨いている。そう思いを馳せるたびに、煎茶を啜りながらパソコンにブログの内容を打ち込んでいる私の心は温まります。内面に沁みついてしまった英語への苦手意識と深い劣等感はすぐには消えてくれないかもしれない。でも将来、守りたい人を守れるようになるために、辛さをも甘受する人になりたい。いつからか、「自分も」という意識すら芽生えていました。
自省と尊敬の念を新たにしてくれた、この場所でのインターンは、私にとって実りあるものでした。まだ成人すらしていないひよこの私を受け入れてくださり、経験を積ませてくださったフレンズさんへの感謝を述べて、このブログを締めさせていただきたいと思います。
長い文章をここまでお読みいただき、ありがとうございました。
寺﨑 琳